edamamesakuraの部屋

趣味で描いてる漫画や、好きな作家さんについて書いています。

高橋和巳「邪宗門」

今現在、ある小説のコミカライズを、著作権を管理されてる方に、営利目的で無ければという条件で許託を頂いて描いていますが、
それが終了したら、この高橋和巳の「邪宗門」に挑戦してみたいと考え、少しずつネームを作っていました。

しかし第一部中盤あたりの2代目教祖の裁判シーンの長台詞の見せ方にいきづまり、頓挫してしまいました。
主人公、千葉潔が明治天皇に直訴するシーンと同時進行すれば、何とかなるのかもしれませんが、
それを構築する気力も胆力も技量も足りず、ストップしたままです。


広徳阿礼と阿貴という、二人の姉妹ヒロインの魅力もさることながら(特に阿礼は今でいうツンデレの元祖でしょう)
邪宗門」に魅かれる最大の要因は、主人公、千葉潔の造形です。
何しろ、宗教を信じる能力が無いと自覚していながら、新興宗教の教祖になってしまうという、
そこら辺の内面は深く描かれていないのですが、こちらが一生懸命想像したくなってしまう力が作品にあります。
前述のヒロイン二人、他にも世話女房みたいな女にもモテモテなのですが、彼の心は底なし沼のように空虚だからこそ、
宗教組織も自分自身も破滅への道を辿ってしまう。

そして最後に流す涙の意味は、目の前に飢えた子供らがいるからかわいそう、というだけの単純なものではなさそうですが、
それも謎のまま彼は息絶えていきます。
その死を看取った、幼馴染のように幼少期から一緒にいた女は、それを追うようにして自身の舌を噛み切る。
本当にたくさんの女に愛されていたのに、一貫して孤独な印象が全編通して貫かれているのが不思議ですが、それが嘘っぽくならないのは、
彼の母親に関するあるエピソードと、作者の根幹にある何かが、主人公に投影されているからだと思います。

彼らの宗教団体、ひのもと救霊会は日本以外にも手広く活動していて、満州とかもそうだったのですが、
敗戦とともに苛酷な運命が待ち構えていました。
もともと悪いのは日本だから自業自得なんだと、私の父親なら言うでしょうが、
あまりにむごい描写に、ロシア、中国、朝鮮お前ら人間じゃないと憤慨してしまいました。
偏った解釈なのかもしれませんが、小説という媒介が持つ影響力、底力を震撼したエピソードでした。

作者の高橋和巳は大阪の今宮出身。
5年ほど大阪に住んでいた頃に、この作家、そしてこの作品に出逢いまして、
JR環状線今宮駅を降りた時、その独特の空気感に圧倒され、ああこういう街で、この人の小説は生まれたんだなと恐々納得したりしました。
日払いアパートの建物などはSF映画に出てくるゴーストタウンのようでした。

 

 

 

 

 

サザンオールスターズ「葡萄」

サザンのアルバムを購入して初めて聴く時は、必ず感動と満腹感、多幸感にひたれるのですが、
このアルバムの初聴きは、何の感慨も湧いてこなくて、自分でも驚きました。
作品自体を良くないと思ったわけではなく、むしろ完璧だと思ったのですが、なぜか不感症に。
あとから振り返るとマスタリングが、その前の桑田さんのベストのような前に出てくる感じとは逆で、奥に引っ込む感じだったのでそうなったのではと想像しますが、
本当の所はよくわかりません。

先行シングル「東京VICTORY」を初めて聴いた時の感想は、とにかく構成が凝っていてこの曲に勝負かけてるな、という印象だったので、
桑田さん、オリンピックの開会式でこの曲披露したいと口には出しませんが秘かに思っていて、その後5年近く地道に世間に浸透させようとして事務所が尽力してたような印象。
(TBSでは「東京VICTORY」というタイトルのオリンピック情報番組までやってましたし)
けれど、その後あっさりソロで「SMILE~晴れ渡る空のように~」を出したので、あまり緻密な計画があったわけではないようです。

今でもこのアルバムは非の打ちどころがないし、捨て曲ゼロという印象は変わりません(天国オンザビーチは浮いてますが…)
作品の価値とは別になりますが、歌詞の内容が今だとピント外れのようになってしまったなぁという曲はあります。
北朝鮮に対して、「後がないのはむこうさ、瀬戸際の状況さ」と歌ってますが、現在、追い詰められてるのは日本の方です。

「ピースとハイライト」の歌詞「絵空事かな、おとぎ話かな、互いの幸せ願う事など」は今ではファンタジーとさえ思えてしまう、悪夢のような世の中になってしまいました…


「平和の鐘が鳴る」では原爆を落とされた被爆国、日本という認識。
アルバム最後を飾る「蛍」では太平洋戦争で散っていった人達への鎮魂を。
現在、過去を通じて強く、日本、日本人というのを意識したアルバムだと思います。
ただ、洋楽ロック、ポップスに憧れ、半分英語で歌ってきた桑田さんならではの、
ソロ作品「ROCK AND ROLL HERO」での「アメリカは僕のHERO」とか「金は出しても口出せぬ」みたいな鋭い切り口が欲しかった。

 

 

 

 

サザンオールスターズ「キラーストリート」

Kamakura」に次ぐサザンオールスターズのオリジナル2枚組アルバム。
2枚のディスクどちらにも15曲収録されて全30曲!(Kamakuraは20曲)

初めてこのアルバムを聴いた時の印象。DISC1はどれも素晴らしい楽曲で夢のような小一時間が過ぎて行った。
引き続きDISC2を聴くと、これも中盤までは文句なしで続いていたのが、後半になって、シングル「涙の海で抱かれたい」のカップリング2曲と、
比較的それに似た曲調の楽曲が固まっていて微妙な印象に…それでもラスト前の7分近い大作と、ラストの壮麗なバラードで何とか盛り返して終了。といった感じでした。

曲数のわりにはスローバラードが少ないし、あるにはあるけれど季節が春とか冬とかだったり、宇宙的な雰囲気だったりと、
サザンらしい「真夏の果実」「涙のキッス」みたいな王道がないなぁというのが気になり、
そのかわり明るいアップテンポ曲は「涙の海」「君こそスターだ」「ごめんよ僕が馬鹿だった」など結構目立つので、
コンセプトが「死」であるのに、全体の印象は明るい。

個別に書いてくと1曲目の「からっぽのブルース」は曲調も歌詞もかなりダークなのにあまり重苦しさを感じない。
ギターリフに重さとか演奏者の怨念みたいなのが感じられなくて、ロックをやってもロックと評価してもらえない桑田佳祐、サザンの限界が出てしまってるような。

29曲目の「Friends」は大作なのだけど、作り手の設計図(ここは○○小節までこうやって)みたいなのが透けていて、狂気みたいなのが感じられないので、
悪い意味で安心して聴けてしまう。着地点どうなるの?みたいな不安やスリルがない。

文章を意識して書こうとすると文句ばかりになってしまいますが、このアルバムは単純に長いので、何か作業をしながらだらだら聴くには最高の作品なので、
これまで幾度となく聞きまくってる愛聴盤であります。

 

 

 

サザンオールスターズ「世に万葉の花が咲くなり」

少し前にヤフーかグーグルの記事で「あなたが一番好きなサザンのアルバムを投票」みたいな企画があって、堂々の1位は85年にリリースされた2枚組「Kamakura」でした。
自分は「ステレオ太陽族」に投票しましたが、一番よく聞いたサザンのアルバムはどれかと考えると、リアルタイムで購入した84年の「人気者で行こう」以降はどんぐりの背比べで
難しいのですが、おそらく僅差で92年の「世に万葉の花が咲くなり」になると思います。

この頃はバブルで、私はCDとカセットテープ両方で購入しましたし、98年の紙ジャケット再販時には、小林武史氏のコメント読みたさもあってもう一枚買いました。
(音質はほとんど良くなっていなかった気がしましたけど)
大ヒット曲「涙のキッス」「シュラバ☆ラ☆バンバ」が収録されていて150万枚くらいのセールスを記録したと記憶していますが、
今、あまり語られる事が比較的少ない存在になっているような気がします

私がそういう風に感じてしまうのは、おそらく以前は頻繁にライブで演奏されていた「ニッポンのヒール」がほとんど登場しなくなった事があると思います。
何となく、この曲がこのアルバムの顔、のような気がして、この曲が演奏されないというのが、このアルバムが時の流れと共に風化してしまったような錯覚を起こしてしまう…
まあ、ライブでよく演奏されてたからファン人気が高かったかというとそうでもなく、
同じ事は「ブリブリボーダーライン」にも当てはまるのでした
(この曲は自然発生的にサビ部分のリアクションが広まったので、桑田さんも人気があると思ったのでしょうが、歌詞が意味不明過ぎる…)

1曲目の「BOON BOON BOON」は怪しげなツイストリズムでユニークなアプローチなんですが、もっとテンポが速ければいいなと思ってしまったり
 (しかし当初予定してたよりもテンポアップして現在の形になったらしいです)
2曲目の「GUITAR MAN'S RAG」はなんでこんなたるい曲を作ったんだろうと長らく思ってしまっていましたが、久しぶりに聴いたらいいかもと思ったり
中盤の「HAIR」は40周年記念ライブで披露されました。この曲を覚えていてくれてた事に驚き、感動したのでした。
次の「君だけに夢をもう一度」はサザンの好きな曲10曲に入るくらい好きです。フィラデルフィアソウルというキーワードをこの曲で知りました。
アルバム後半の肝は「亀が泳ぐ街」
7分間、延々と気だるいテンポで桑田さんが奔放に熱唱してます。
これはジャンルでいうとジャズとブルースの融合だと思いますが、日本の、と付くのでそこら辺に思い入れがないとダサいとかつまらないとなります。
その次に来るのがもろシングルのB面臭プンプンの「ホリデイ ~スリラー「魔の休日」より」
メロディの流れが良く言えば意表をついてるんですが、あくまで「涙のキッス」のカップリング以上の存在にはなれない…
ラストの「CHRISTMAS TIME FOREVER」
歌詞に「このまま世界が終わると言うなら、雪降る聖夜も恋には落ちない」とあります。
この頃はノストラダムスの大予言が頭の片隅にあり、最後の審判の日が迫ってきてるなぁと不安に思ったりしました。

「シュラバ☆ラ☆バンバ」はキャバクラ通いしてた頃、やたら歌いました。
ちなみにウケが良かったのはこのアルバムの曲ではありませんが、「女呼んでブギ」とか「東京シャッフル」「YaYa」でした。
当時は時給900円で喫茶店でバイトしてましたが、週6勤務だったのでお金の羽振りは良かったです。
年末にお店の忘年会でビールかけをしたのは馬鹿馬鹿しくも楽しい思い出です。
あのまま、あの店で仕事続けてたら、今も東京に住んでて家族を作れてたかもしれません。
辞めた理由が店長の人間的な魅力、カリスマ性に嫉妬してたから…では自業自得です。
稲村ジェーン」で始まり「世に万葉の花が咲くなり」を聴きながらフェイドアウトしていった私のバブル時代でした。

 

 

 

ユーリズミックス( Eurythmics )

私が洋楽アーティストで最初にハマったのがイギリスの男女ユニットのユーリズミックスでした。
きっかけは小林克也さんの「ベストヒットUSA」で「 Here Comes the Rain Again 」のミュージックビデオを観て、
その幻想的な映像と、不思議な雰囲気の楽曲に魅せられて、お小遣いでセカンドアルバム「タッチ」のカセットテープを購入したのでした。

 

Touch

Touch

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アルバムはもう手元にありませんが、とにかく風変りな、一本調子なのだけど不思議な魅力のある楽曲が多かったと記憶してます。
ジャンルはテクノポップという括りなのだけれど、何やらライブではエネルギッシュだと新聞の音楽評に書かれていましたが、このアルバムからはとてもそんなイメージは想像出来ませんでした。

が、3枚目の「Be Yourself Tonight」の先行シングル「Would I Lie to You?」(日本タイトルはビリーヴ・ミ―)を聴いた時、
そのやたら激しいグルーブと反り上がるようなホーンセクション、そして何より、白人の中では歌が一番上手いとサザンの桑田さんに評された(たしかオールナイトニッポンで)
アニー・レノックスのパワフルでソウルフルな歌唱。そして曲の終わりでブチ切れたように炸裂するスキャットの嵐。圧巻でした。

 

当然購入したアルバムの中には、日本で最大の有名曲となる「There Must Be an Angel」(スティービー・ワンダーがハーモニカで参加)や、
アレサ・フランクリンとのデュエット曲「Sisters Are Doin' It for Themselves」が収録されていたりの豪華版。
アニーの卓越したボーカルと、相方のデイヴ・スチュワートのユニークなサウンドイデアが見事に結実した作品で、
前年に出たジョージ・オーウェルディストピア小説「1984」の映画化に際して制作されたサウンドトラックとの合わせ技で、私は完全にユーリズミックスの虜となりました。

 

そのアルバム「1984」では、不可思議な怪しい音世界にアニーのボーカルが遠くで幻影のように揺らいでいるようなオープニング、
セックスを連呼するポップな先行シングル「セックス・クライム」
最後の最後でびっくりさせられる仕掛けを施した「ルーム101」
そして、三味線のような音色の泣きのギターソロが聴きものの珠玉のバラード「ジュリア」など多彩なサウンドがつまっていて、
原作小説を読んでイメージした通りの世界が、そこに音楽として存在してる事に当時感動しました(映画では派手さを抑えてアレンジされたものが使用されております)

翌年の4枚目「リヴェンジ」は先行シングル「ミッショナリーマン」をはじめ、好きな楽曲が多く、個人的にはこれも名盤なのですが、前作の延長線上にある作品な為、
評論家がユーリズミックスに期待していた意外性や驚きがあまりなかったとも言えました(アルバムに収録された解説でやたら、‟よくある”という言葉が並んでいて少し腹が立ちました)

 

5枚目の「サヴェイジ」では1、2枚目のクールなデジポップ寄りの路線にやや戻った感じに。6枚目の「We Too Are One」は初期と中期のちょうど真ん中を狙っているような感じに。
一定のクオリティを保ってはいるものの、もうユーリズミックスから、今までにない新機軸というのは生み出される事はないのかな…と思い始めたら長期の活動休止に。

アニー・レノックスのソロアルバム「DIVA」は大ヒットしましたが、歌物の印象が強く、個人的にはその後の活動を追う気になれませんでした。

 

Peace

Peace

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1999年に待望の活動再開。ニューアルバム「Peace」の先行シングル「17アゲイン」は初期の大ヒット曲「スイートドリームス」のフレーズをはめ込んだ粋な楽曲で、
アルバム自体は、「We Too Are One」の延長線上にある印象ですが、佳曲が揃っていました。が、やはり新しいサムシングは生まれない事を再確認したかのように再び休止に。

ユーリズミックスの名前自体は、日本ではマイナーな印象ですが、YouTube での再生回数を見てみると、やはり世界中で聴かれてるせいもあり、桁が違いますし、
おそらく本国イギリスではビートルズ、オアシスに並ぶビッグネームなのだと思われます。

最後に私が1987年に横浜アリーナで観たユーリズミックスのライブについて記憶に残った事を少し。

ライブで最も期待していた「ビリーヴ・ミー」をあろう事かアンプラグドバージョンでやってくれてしまい、がっかり…
「スウィートドリームス」を大勢のお客さんが英語で合唱!これには驚きました。日本のステージでこんな事が起こるとは。
最後、アンコールの後、アニーが日本の「サクラー、サクラー」のフレーズを歌いながらフェイドアウト。粋でした。

 

 

 

補記

英国が選ぶユーリズミックスアニー・レノックスのベストソングTOP30

かなり意外なのでリンクしておきます。

 

amass.jp

夏目漱石「門」のコミカライズ

今現在、私は角川書店から出版されていた小説版「幻魔大戦」の漫画化を、著作権を管理しておられるウルフガイドットコム様から、営利目的でなければという条件で許諾して頂き、それをKindleインディーズマンガやpixivで「extra幻魔大戦」というタイトルで無料公開しております。

 

 

 

2016年の春から2017年の冬にかけて原作小説4巻~20巻のネームを作り、ペン入れしてみたのですが、人物の顔が髪の毛のベタ(黒色)に負けてしまうのが気になってしまい、
パソコンでマンガを制作するのに、まとまった量のマンガを描いて練習する必要があると考え、別の小説を事前にコミカライズする事を考えました。

そこで著作権フリーの青空文庫の中から題材を探す事にして、夏目漱石の作品の中で一番好きな「門」を選びました。
この小説の主人公夫婦、宗助と御米の醸し出す空気感が好きで、自分にとって理想の夫婦像なのです。

 

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本編1ページ目
最初の構図は佐藤宏之先生の作品の影響です

 

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愛知県犬山市明治村へ行って、いろいろ資料写真を撮ってきました

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前半の山場?
御米の体調不良のシーン


小説の前半の半分ぐらいを50ページにまとめました。
出来上がったら誰かに見てもらいたい性分で「マンガごっちゃ」というサイトに投稿しました。
後半部分はお寺での描写が中心となったり、台詞が極端に少なくなるので難しいなと思いましたが、
もし大反響!とでもなれば挑戦してみようかな……ぐらいの考えでした。

閲覧数はそこそこ伸びるのですが、全く反響がない。
いいね、が8個ほど付いてましたが、全て自分でネットカフェから付けたもので、虚しい……

ある友人に読んでもらったら「何を言いたいのかわからない」と、国語の授業の「作者の気持ちを答えなさい」みたいな事を言います。

小説「幻魔大戦」は作者の平井和正先生が、漫画原作を手掛けているというのもあって、作中の台詞をそのまま順番通りに並べて行けば作品として成立するのですが、
同じ手法を「門」でやってみたら、あらすじを追うので精一杯で、漫画として面白いものだったかは微妙、という反省はあります。
久しぶりに見て、絵は随分と頑張ってるなぁと思いました。

 

「稲村ジェーン」の台本

限定版ブルーレイBOXの特典として収録された復刻版台本。
これを元に映画「稲村ジェーン」の後半がなぜ、多くの人が「訳が分からん」という感想になっていったのか、推察してみます。
(この説明自体、訳が分からんものになってしまうかもしれません…)

 

f:id:edamamesakura:20211023203441j:plainここに書かれているヒロシの台詞「……なんで、ずっと黙ってたんだよ」これが映画ではカットされています。
竜のボードの持主、伝説のサーファーの一人が、骨董屋の主人であった事を、彼を慕うヒロシが悟るという大事な場面なのですが、
役者の表情と前後のエピソードで、このある意味、とてもわかりやすい台詞が無くても、映画を観てる観客は理解してくれると考えたのだと思います。

 

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その直後のヒロシと波子のシーン
前述の台詞があれば、ヒロシの言う「山のてっぺんで大きな波を待っている」のは骨董屋の主人の事で、
「ボードぐらい持ってないとカッコつかない」から持って行ってやろうとしていると、解釈出来るはずなのですが、
この後の波子の台詞

「みんな、他人じゃなかったの?」
で、映画を観ていたほとんどの人は、山のてっぺんで大勢のサーファー仲間が波を待っている、そこへ行くから、ボードがないとカッコつかなくなるのはヒロシ自身の事と、誤解してしまった。
(少なくとも私はそうでした)
もしかしたらヒロシは照れくさくて、敢えて波子に、そう誤解するような言い方で、山へ行く理由を説明したのかもしれないですが、
映画を観ている人達まで、それを真に受けたまま、この先の展開が続いていく事になってしまいました。


いくら大きい波とはいえ、その大きさは頭三つ。
(この表現も結局、何メートルぐらいを差してるのか不明なのですが…)
映画を観ているお客さんが、100メートル以上はある鎌倉の山でサーファーが波を待つなどというシチュエーションを思い浮かべるとは、
作り手側は想定していなかったのかもしれません。
しかし、こちらとしては、巨大な波の大きさというものの知識が皆無なので、そういう状況があり得るのかどうか、いまだによくわかりません。

そういう解釈のまま、この後のシーンを見続けていくと、骨董屋の主人の為のはずのヒロシのやっている事は意味不明、目的不明となってしまうのですが、
台本ではちゃんと、ヒロシと波子は山の上の病院へ辿り着き、そこへ竜のボードを置いて、病室へと向かう。

 

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f:id:edamamesakura:20211023204758j:plainこれなら、ああそうだったと、観ている方も前のエピソードを思い出し、ヒロシがやろうとしていた事を理解し、共感出来たかもしれないのですが、
完成した映画では一切そのシーンがないので、最後までヒロシの一連の行動がわからないまま終わってしまう。


そもそも、なぜ山へと向かうストーリー展開にしたのか

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まるで荒れる波のように
まるで大きな波に跳ね飛ばされたように
荒れる海のように揺れる木の枝々
谷の腹が襲いかかる巨大なチューブのように見える

しきりに、ヒロシと波子が山で遭遇する自然現象を海のそれで比喩しています。
海で強大な大波へ向かう映像を撮影するのが困難なので、山でそれを疑似体験させる映画にしようという意図が読み取れます。

 

クライマックスシーンの表現

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この台本のイメージ通りなら、観ている方もカタルシスを感じられたような気がしますが、

実際の映画だと、ボードは宙に浮かびますが、加速はしないでほとんど静止状態。ヒロシと波子はその上でほとんど直立不動なイメージなので、篝火の巨大な波、その中に飛び込んでいくボード、という感じにはなっていません。

ただ、アニメならともかく、実写映画でこのイメージを具現化するのは、おそらくベテランの映画監督でも難しかったでしょう。

 

ラストシーン (4枚目の画像からの続き)

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映画では、竜のボードが天高く飛んで消えていくというシーンが追加されてますが、
ヒロシと竜のボードの結び付きの印象が弱いので、とってつけたような印象になってしまいました。


脚本を書かれた康 珍化(かん ちんふぁ)さんは、1987年に公開された少年隊主演のSF映画「19ナインティーン」も執筆されています。
(現在、DVD化はされていないようです。ちなみに同時上映は斉藤由貴主演の「トットチャンネル」)
19という名前のモンスターの造形が、何となく物悲しくて、その姿は「稲村ジェーン」に顔だけ登場する竜の姿に、どことなく似ていたような気がしないでもないような…