edamamesakuraの部屋

趣味で描いてる漫画や、好きな作家さんについて書いています。

アース・ウィンド・アンド・ファイアー

もう個人的にネタ切れなので、ずっと更新しませんでしたが、気ままな雑記文的なものなら書けない事もないかと考えまして、ここから先は私の個人的なEarthとの出会についてだらだら書いてみます。


私が中学生の頃、ダイアモンド社から刊行されていた「FMステーション」という雑誌が人気がありまして、
それでFMの音楽番組で流れる楽曲をカセットテープに録音して集めるというエアチェックも流行していました。

私もそれを始めようと、洋楽用カセットと邦楽用カセットの2種類で、どちらの方がいい曲が沢山集まるか競わせて楽しんだりしてました。

で、最初に洋楽で録音したのがEarthの「Fall in Love With Me」(フォール・イン・ラヴ)と「Straight from the Heart」(美しき創造~異次元飛行)でした。
最初からこの曲がいいから録音しようとした訳ではなく、たまたまその当時、NHK-FMの夜7時から最新のアルバムを特集するレギュラー番組があって、
何の予備知識もなく、いい曲だったら残す。良くなかったら消す、という流れでした。
その時の感想は「なんか大人っぽい難しい曲だな」というものだった事を覚えています(今だと、どうしてそう思ったのかわかりませんが)
Earthの超有名な代表曲「宇宙のファンタジー」は当時、聴いた事があったと思いますが、
この2曲とそれが同じアーティストによるものとは認識していなかったと思います。

で、その後大ヒットするフィル・コリンズとのデュエット「イージー・ラヴァー」(Easy Lover)
これを歌うもう一人のフィリップ・ベイリーが、Earthのメンバーとは知らず、というか気付かず、
その後出てきたEarthの「マグネティック」を「イージー・ラヴァー」と似たような曲だなとしか思わなかったのでした…


90年代頃になると洋楽でいいと思える曲に出会う事がほとんどなくなり、それとともにエアチェックの趣味も消えていくのでした。


三十代になり、とある社交サークルに頻繁に参加するようになり、新宿で生バンドの演奏を聴かせてくれるお店ケントスへ連れて行かれました。
その店は70、80年代のディスコ&ソウルを演奏するバンドが集まっていて、私はそこで初めて(多分、)Earthの不朽の名曲「セプテンバー」を聴いたのでした。


サビのBa de yaの部分で、女性ボーカルの人が、両手を朝日が登るかのように左右に開いていく動きを見て、女神様のようだと感嘆したのでした。

セプテンバーを頼りに、歌っているアーティストがEarth、Wind&Fireだと分かると、タワーレコードへ出向いてベスト盤を購入しました。

 


のっけからの「Shining Star」(シャイニング・スター)から2曲目の 「That's the Way of the World」(暗黒への挑戦)へと繋がる流れの見事さに、完全に心を奪われてしまいました。

そのベスト盤の最後の楽曲が「Getaway」(ゲッタウェイ)
サビ部分の「I know we can」を連呼する部分が「アノウォナゲー、アノウォナゲ―、アノウォナゲ―」と聞こえて、それが頭にこびり付いて離れなくて、これ何の曲だろう?と、
不思議に思った小学生の頃の記憶が蘇ってきました。

他にも、このベストには収録されてませんが、アルバム「フェイセス」からシングルカットされた「And Love Goes on」という楽曲も幼少期に聴いた記憶があり、これは何となく、親か親戚の車でドライブしていた際にカーラジオで流れていたのではないかという気がします
そうでなくても70年代当時、私の家は喫茶店で、周りはボーリング場、パチンコ、サウナ、等の社交場に囲まれていて、当時流行りのディスコソングを耳にする機会は多かったのだと思います。
ディスコそしてEarthは、私の心の原風景なのだと認識したのでした。

 

で、手っ取り早くEarthの全貌を理解したいと考えた私は、3枚組ベストの「The Eternal Dance」を購入。

 

 

選曲をリーダーのモーリス・ホワイト自身が手掛けているらしく、長いアースのキャリアとその音楽守備範囲の広さがよくわかる流れになっています。
1曲目の「Fan The Fire」
最初期の楽曲ですが、気だるいラーガ調ロックとでもいうんでしょうか。今まで聞いてきたアースとは別物のように思われました。
そもそも初期の曲にはフィリップ・ベイリーは参加してなくて、女性ボーカルがいたりする。
しかし「Love Is Life」などなかなかの美メロの名曲です。
80年代後期の曲では「System Of Survival」がカッコよくて気に入りました。
ジャンプリズムロックとでも言うような感じで、これはカラオケのDAMにも収録されています。
Earthは長い変貌と旅を続けて、この3枚組のベストを締めくくるのは「That's the Way of the World」のライブテイク。
最後にいきつくのは自分達の国歌と位置づけているこの曲なんだな、としみじみするのでした。

 

Earthが来日するというので日本武道館のライブへ行きました。
この時はモーリス・ホワイトは体調不良で来られず、わりと前からおなじみのメンバーになっているシェルドン・レイノルズとフィリップの二枚看板ボーカル体制でした。
感想は…意外な選曲というのはなく、フィリップのファルセットが凄かったのと、「宇宙のファンタジー」でみんながジャンプするのでそれを真似して楽しかったというのが、特に印象に残ってます。
ただ、サザンのライブに慣れているのもあって1時間半のライブでアンコールが一曲というのは物足りないなーという気はしましたが、ひたすらノンストップで駆け抜けていったような感じだったので、
それはそれで納得しました。


アルバムに関しては気になったものからランダムに聴いて行き、そのうちCDを購入する経済的余裕もなくなり、その後YouTubeで検索すればほとんどの楽曲が聴ける時代になったのもあり、
そういえば、名盤と名高い「黙示録」や「Let's Groove」が収録されている「天空の女神」は未聴のまんまです。

 
きちんと購入して聴いたアルバムで特に好きなのは、やはり最初にエアチェックした楽曲の収録されている「創世記」
アルバム最後の「Miracles」はアフリカの大平原をバックに、子供達がコーラスしているような雰囲気が感動的です。

 

 

 
87年の「Touch the World」のタイトル曲はアース版「ウィ・アー・ザ・ワールド」&ゴスペルみたいな感じで壮大でゴージャスな名曲です。
ホイットニー・ヒューストンがカバーしているのをYouTubeで見つけましたが、あまり話題にならなかったみたいです。

 


www.youtube.com

 

 

そのYouTubeで順番に全曲聞くことができた「Millennium」(千年伝説)は邦題タイトルのダサさとジャケットイラストのゴテゴテした感じで、あまり興味が湧かなかったのですが、
驚くほど安定したクオリティの曲が続いていてこれも自分的には名盤だと思いました。

 
近年のでは図書館で借りて聴いた2005年作品の「Illumination」
これは完全に今風のサウンドで全体を構築していて、クールな打ち込み風リズムが目立つような作品なのに、なぜか根底にはアースがきちんと存在しているというマジックを成立させているように思えて、これも名盤だと思います。


モーリス・ホワイトがこの世を去ったので、純粋なアースの新作というのはもう現れないかと思われますが、セールスや世間の評価の波とは関係なく、ずっと一貫してEarth、Wind&Fireは、クオリティの高いアルバムを作り続けてきたアーティストだと思います。
ホーンセクションを外して迷走した「エレクトリック・ユニヴァース」でも、個々の楽曲は良い作品が多かったです。

 

 

手前みそですが私のアースお薦め10曲

Love Is Life
暗黒への挑戦
セプテンバー
And Love Goes on
フォール・イン・ラヴ
美しき創造
システム・オブ・サバイバル
タッチ・ザ・ワールド
Sunday Morning
Show Me The Way


ベストでおなじみの定番がほとんど外れてしまうのはアースでもサザンでも同じですね…

 

 

 

 
2011年に発売された、こちらの40周年ベストは最初期から当時の新作アルバム「Illumination」まで幅広く選曲されていて、
さらにモーリス・ホワイトフィリップ・ベイリーのソロ曲まで収録されています。
2枚組で一枚はアップテンポ、もう一枚はスローテンポの楽曲で分けられているのもユニークです。


なるべく時系列に沿っている方がお好みでしたら、前述の3枚組「The Eternal Dance」を。
こちらは2013年にリリースされたアルバム「Now, Then & Forever」のタイミングで再発売されたらしいです。

 

平井和正 「 幻魔大戦deepトルテック 」補足 “無限”と“外来装置”

幻魔大戦」に登場する悪の象徴である“幻魔”
宇宙の根元悪で、人間の心に本来無かったはずの邪悪な感情を植え付けてくる存在の“幻魔”は、トルテックでは“外来装置”という名前に置き換えられています。
その外来装置の暗躍を阻止し、“無限”の力を迎え入れる為に必要なのが“内的沈黙”と呼ばれるものです。

心の中の“対話”を一切止める。それが“内的沈黙”
思考の中断は、特殊で静謐な状態を呼ぶ。
知覚が五感に依存しない状態。それが“内的沈黙”であり、人間を魔法の存在にする能力なのだ。

心は絶えず“おしゃべり”をしていて、それを止めるのは非常に精神力がいる(ネットで調べてみたらマインドトークと呼ばれているもののようです)
私の頭の中は、ほとんどいつもこの状態で、その為ずっと独りでも、寂しく孤独を感じる事がないのでよくわかる話なのですが、
この“内的沈黙”という表現が、誰にでも伝わるものなのかはよくわかりません。

“無限”の力を迎え入れる事が出来れば、人間は“外来装置”による浸食を食い止められる。
その為にはカスタネダの書物を引用して“自尊心”と“自己憐憫”を捨てなければならないと書かれています。
これもよくわかる話です。私はほとんどこの自尊心と自己憐憫で人間関係をおかしくして職場を転々としている状態ですから、、、

頭ではわかっていても、頭の中から自然と湧いて来るんですよね…こういう思考が。
それこそ“外来装置”に心が侵略された状態なんでしょう。
deepトルテック を読んだ事を、良い機会と捉え、内的沈黙を長く続けて外来装置の浸食を少しでも抑えられるように頑張ってみます。

ただ、自分の感覚ではこれは外来装置という名のように、外から来るものではなく、自分自身の内側というか肉体、脳に刻み込まれてしまった条件反射のような気がしますし、
小説「幻魔大戦」は人間の内側にあるエゴとか醜い感情を、幻魔という外の要因に置き換えて責任転換してしまっている、という批判を、以前どこかで読んだような記憶がありますが、
その要因は外の世界からの出来事、働きかけ、言葉、なので、外からの干渉を“外来”と表現するのもありだと思います。

 

 

平井和正 「 幻魔大戦deepトルテック 」

平井和正先生の大スペクタクルSF長編小説「幻魔大戦」が完結していた!
しかし、 Amazonのレビューを読んでみると微妙…それにお値段も…という事で長らくスルーしていました。
それが引越し先の図書館の蔵書で発見。全3冊を読了しました。

うーん、悪くはない。「幻魔大戦」は多元宇宙、パラレルワールドを前提にして展開しているのでこういう終わり方もありでしょう。
それに読了後の後味が非常に良い。

 

知覚の翼をひろげて
あの“無限”へ飛び立つ

 

この2行で長い小説は締め括られます。
“無限”というのは以前の幻魔大戦シリーズではフロイという名で呼ばれる宇宙意識体の事です。
主人公の雛崎みちるは、この無限と同化する事で二つの世界を行き来したり、物凄い、いわゆる超能力のような力を思う存分発揮出来るのですが、
その同化というのは自身の人格を無にして無限に委ねる事で、究極の状態は“死”という事になります。

みちるというキャラは平井先生のおそらくお気に入りであり、願望であり、自身を投影した分身であり、
この長い小説の中で思う存分暴れまくって、楽しんで、そして無限に召喚されていった。
先生自身が既にこの世にいない今、そんな風に思ってしまいました。


読了後の感想を先に書いたので、この後は読み始めからの些細な思ったり気になった事をつらつら書いてみます。

このdeepトルテック の前に書かれた「幻魔大戦deep」なる作品を読んでいないので、わかっていない事柄がおそらく多々あると思われます。
その為、なぜ本編である「 幻魔大戦deepトルテック 」の前に中編小説「少女のセクソロジー」から始まるのかわかりません…
これはどうも主人公みちるとクラスメイトの女の子のエッチなお話…みたいな感じで、つまらなさに耐えきれず、とうとう読み飛ばしてしまいました。

ですが肝心のdeepトルテックも、序盤は誰だかよくわからない自殺したがってる校長先生の話が延々と続いて、やはりつまらない…
ようやく主人公のみちると新しい父親らしい東丈(過去の幻魔大戦シリーズの主人公)が登場しても、小説家になりたいとかいってるみちるに魅力を感じないし、
東丈は以前とは違う人格のようで依然としてつまらない。
もう読むのやめようかな…と思い始めた1巻の後半あたりで、いきなりみちるは二十歳前後のハイティーンな女性のボディに変身(させられた)
するとなぜか(相手によるが)妙に言葉遣いが乱暴になり、すると急に物語に活力みたいなのが出てきて、少し面白くなってきました。

ストーリーの基本は、トルテックと呼ばれる呪術師になった主人公のみちるが、東西南北それぞれの方角の力を有したトルテックを4名集める事で、
その力によって、予言されている中国大陸を壊滅から救うという役目をみちるが担い、
二つの世界を行ったり来たりして両方の世界からトルテックを探したり、育てたり、以前から存在する先輩トルテックに協力を求めたりと孤軍奮闘するという流れです。

なぜ中国なのか?という疑問は作者である平井先生に何らかの意図があるのかもしれません。
「中国が消滅すれば、少しは人類の寿命はごく僅かだが延びる。同じ漢民族同士、大量虐殺をものの数ともしない奇妙な国民だからな」
毛沢東なんて自国の国民を七千万人も大殺戮して何とも思わなかった」
作中人物の台詞でボロクソに語らせています。
では作者は中国人が嫌いなのか?というとそうでもなく、ジェット・リーとか虎2(ふーある)という人物を、みちるよりよっぽど愛嬌のある感情移入し易いキャラとして登場させています。

中国以上に過激なのはイスラム教に対する視点です。
登場人物でシレーヌ王女というキャラが登場しますが、これは今までの幻魔大戦シリーズで登場するルナ姫が名前を変えたものと思われます。
(東丈が王女の癌を根治させるエピソードがありますが、これが本編唯一、彼が活躍する場面であり、ここでの王女との空気感に、時間と空間を超えた繋がりの深さを感じさせられ、なかなか感動的でした)
で、この王女がトルテックとして覚醒する前に計画していたのが、イスラム教の根絶という途方もないものでした。
この辺りの描写で、平井先生の宗教観というものが現れてきます。

はっきりいって、みちるは世界の大宗教、とくにイスラム教には不審を抱いている。
異教徒退治を是とするモハメッド教は戦争を聖戦と美化して呼ぶ。
その後、異教徒を金さえ払えば生かしておいてやる、というほど堕落したイスラム教は、同様に柔らかくなったキリスト教と両立するようになったが、
本来、戦争宗教であるからには、本卦帰りして原理主義を唱えるのは当然のことなのだ。

同時多発テロイスラム国を起こした連中と、一般的なイスラム教は無関係だと思っていましたが、大局的に観るとそうでもないのでしょうか?

みちると王女の対話では
「時代遅れも事実なら人間の根本的な自由を奪うというのも真実だと思いますが、イスラム教自体を、滅ぼすというのは乱暴ではありませんか?」
「違う、滅ぼすのではない、無力化するのだ」
「そのために王女殿下は、イスラム原理主義を拡大させ、テロリストを生み出したのでは?」
「やむを得ないのだ。イスラム教がいかに空疎で虚無の供物か、イスラム教徒自体に悟らせるためだ。今は、キリスト教が急速に壊れつつある。世界の二大宗教が変質しようとしているのだ。
キリスト教が壊れれば、イスラム教も、ということではない。キリスト教の神は空疎な作り物という考えが拡大しているが、イスラム教はそうではない。バランスが崩れたのだ。
信仰はある意味で黴に似た強い生命力を持っている。強い黴が弱い黴を食い荒らし初めているのが世界の現状だ。」

近代社会で世界の人々が手と手を取りあう為には、宗教の存在は邪魔ものでしかないのかもしれません。

この小説は実在した作家(学者?)カルロス・カスタネダの著作からの引用が全編に渡り引用されていて、トルテックという魔術師の概念もそこから来ています。
既存の宗教に幻滅し、新たな幻魔大戦の展開をトルテックに託した心境の流れは、こちらの方のブログで分かりやすくまとめられております。

 

金色のウイスキー、青いライオン
幻魔大戦deepトルテック /平井和正
http://gold-blue-lion-by-shirayukimaru.blogspot.com/2017/07/deep_31.html

 

この小説は2008年に刊行され、作者がもうすぐ70代に差し掛かろうとしていた頃に書かれたものですが、その文章から漲る活力とか若々しさに大変驚きました。
年寄りが若者を描いているのではなく、想像の翼で若者と同化して再び青春を謳歌しているような。
キャラクターの一人歩きや成り行き任せで筆を進めていく感じなので、誰にでもお薦め出来る作品ではありませんが、その衰えない筆力がうれしかったですし、勇気づけられました。

 

 

幻魔大戦deep トルテック

幻魔大戦deep トルテック

  • 作者:平井 和正
  • 発売日: 2008/05/13
  • メディア: 単行本
 

 

「稲村ジェーン」

追記 (2021年4月22日)

祝!ブルーレイ&DVD化決定 

「稲村ジェーン」通常版(Blu-ray)

「稲村ジェーン」通常版(Blu-ray)

  • 発売日: 2021/06/25
  • メディア: Blu-ray

 通常版

 

 

  こちらは、ダイハツミゼットのミニチュアモデルと決定稿台本が付くそうです。

 

 

 

 

ブルーレイはおろかDVDになった事もなく、今現在、鑑賞がかなり困難になってしまった映画「稲村ジェーン
文字通り幻の映画となってしまい、今では覚えている人も少なくなり、今後もその傾向は変わらないと思われるので、記憶している事をツラツラと書き連ねておきます。

桑田佳祐さんが映画を作っているという情報は一年ほど前くらいからサザンオールスターズ応援団(要はファンクラブ)の会報で知っていましたが、あまりファンの間で盛り上がっているという事はなく「あーそうなの?」という感じだったと思います。
年が明けて1990年初頭からの全国ツアー「夢で逢いまSHOW」でNEWアルバム「Southern All Stars」の中の一曲「忘れられたbig wave」が披露された際、バックの映像で、初めて私達は映画「稲村ジェーン」の映像の一部を観る事になりました。
何となくいい雰囲気だなぁ、3輪オートのミゼットオシャレだなぁ、本当に映画作ってるんだなぁと思いました。

7月に新曲「真夏の果実」がリリース。

そしてこの楽曲と映画「稲村ジェーン」の映像が使用された、リクルート求人情報誌「B-ing」のCMが大量オンエア。
映画「稲村ジェーン」の大ヒットは、このCMの影響力が大きかったと思います。
北野武さんもコメントしておられましたが、CMで切り取った「稲村ジェーン」は音楽との相乗効果も相なって素晴らしい映画のように見えました。
洞窟の中から海を眺めながら男二人が語らうようなシーン、別の洞窟で男二人とヒロインが何かを探すように彷徨うシーン、夏の太陽の下を走るミゼット、幻想的な縁日の風車、そして夜空に大輪の花火…
やたら感動的で華がある30秒の映像でした。
それが実際の映画では、確かにそのシーンはあるのですが「えー、こんなもんなの?」というような、登場人物達の心情と全くシンクロしてない、ただ出てきただけという印象でした。
ここら辺、当時の角川映画でよくあったパターンで、CMで観た時は「凄い作品に違いない!」と思って劇場へ足を運んだけれど、実際は…みたいな現象が起こったのでした。

当時のスポーツ新聞の芸能欄で「稲村ジェーン、マリオン直撃!」という見出しで、9月8日に迎えた公開初日、東京銀座の有楽町マリオンを入場待ちのお客さんの長蛇の列が、建物の周りを一周していた様子を大きく伝えていたのを記憶しています。
この記事を見た私は映画の想定外の大ヒットに驚き、これは何としてもマリオンで観なくてはと平日の昼間鑑賞しました。それでも8割くらいはお客さんで埋まっていました。

映画は、ライダーズと呼ばれるサーファーグループの仲間達がサーフボードをチェーンソーで今から真っ二つにしようとするシーンから始まります。
「ボードの中身が何かわかれば、アメ公から高いボード買わなくても、俺たちでボード削れるじゃん!」
結局、中身はただのウレタンで、その為に貴重なボードを1個オシャカにしてしまったと、後からリーダーの尾身としのり演じるサトルに笑われます。

映画の主な登場人物である、主演の男3人 ヒロシ:加勢大周  マサシ:金山一彦 カッチャン:的場浩司 そしてヒロインの 波子:清水美砂 ではなく、
脇役達のエピソードから始まった時点で、この映画は群像劇的にやりたいんだろうなと思いましたし、このシーンの内容自体も何か意味深な気がします。

もともとこの映画はそれほど多くの劇場での公開を想定してなくて、ミニシアター的展開を予定していたらしく、おそらく脚本の康珍化さんは、ストーリーの山場とか見せ方を重視するのではなく、雰囲気重視で、台詞も、直観や感性寄りのもので、片岡義男の小説や、ジム・ジャームッシュの映画「ストレンジャー・ザン・パラダイス」風な仕上がりの映画になるのを想定して台本を書いたと推測されます。
その脚本を読んだ事はないのですが、伊武雅刀とパンタによる台詞を抜粋してみると、どんな雰囲気のホンだったのか想像できると思います。

(写真を見ながら)

「お前がいるよ」
「お前もいるよ」
「あいつもいるよ」
「ジェーンもいるよ」

ナレーション
「暑かったけど、短かったよね。夏」

桑田さんは最近も「週刊文春」に連載中のコラムで「稲村ジェーン」について触れ、「康珍化さんに素晴らしい脚本を書いて頂き」とコメントしております。
歯車が狂いだしたのは、本来小さく作ろうとしていたものを、気が変わって大きく作ろうとした事からではないかと個人的には想像します。

 


稲村ジェーン」公開当時、銀座で2回、新宿で1回、池袋で1回、八王子で1回、埼玉の浦和で1回の計6回くらい観ました。
1回観ただけでは訳が分からない事が多く、何度も観れば理解できるのではないかという期待、それといろいろ違う劇場の雰囲気で映画を楽しみたいという狙いがありました。
東京生活3年目、こういう動機でもなければ、足を向ける機会はないだろうという理由で八王子は出向きました。
9月のロードショー公開後、その後の東宝作品がことごとく大コケしてしまった為、急遽、2本立て上映されるようになり、浦和で観たのは年明けの2月に「!(アイオー)」という作品との併映でした。

映画が始まって1時間くらい経過すると、かつて体験したことのない現象を目の当たりにする事になります。
観客数が少ない劇場なら1、2名ですが、多い時は10~20名くらいのお客が一人、また一人と映画の途中で席を立ち、そのままいなくなってしまうのです。

通常、どんなに評判の良くないつまらない映画でも高い入場料を払ってるのだから、それほどおいそれと途中で席を立つのを目にする機会はあまりありません。
しかし、つまんないなーと思いながらも我慢できる映画と、そこにいるのが耐えられなくなる映画の2種類があるようで「稲村ジェーン」は後者なのでした。

なぜそんな現象が起こるのか、自論を言葉で説明するのは難しいのですが、
もし、主要メンバーによるエピソードだけが続いて、それがつまらないならまだ耐えられそうですが、「稲村ジェーン」は稲村ケ崎に住む人々による群像劇の形態を取っているので、
脇役や、いきなり出てきた「こいつ誰?」みたいな人物達のエピソードが、主要メンバー達のエピソードと同じテンポ、同じ長さで順番に整列した状態で待機待ちしていて、
それを一つ一つ、観客は順番通りに見せられる事を次第に悟り、「これはたまらん!」と逃げ出すように席を立つ、そんな感じでしょうか…

これは演出の工夫で、もし各エピソードの並びが長い尺の後に短いものが来る、とかの緩急があれば耐えられるものになっていたかもしれません。
稲村ジェーン」はもともと3時間くらいあって、それを無理やり2時間にまとめたので、もしもっと長いバージョンで作れたら完成度が上がってたかもしれない、という意見も当時ありましたが、
フィルムの切り貼りの手腕が2時間バージョンと同じなら、更に冗長で退屈さが倍増しただけになっていたと思います。
エンディングで流れる、本編でカットされた男女のカップルや毛ガニさんのエピソードは、メインのストーリーとの関連性は薄そうでしたし…

後、気になったのは結構、笑いを取るシーンやエピソードが随所に散りばめられているのですが(鎌倉の金さんの豪邸の妙な構造のトイレとか、遠近法が歪んだビールジョッキとか、加瀬邦彦のそっくりさんへのツッコミとか)
それが、お客さんからくすくす笑いを引き出す事は出来ても、爆笑を引き出す事が出来ず、散発で終わってしまうのでした。

映画は後半、巨大台風ジェーンが到来するまでは劇場のエアコンの冷房も相なって、妙に涼しいひんやりとした雰囲気のまま時間が経過していくのでした。
私はいつも一人で鑑賞していたし、周りのお客さんの反応を気にしていたので、余計そう感じたというのもあります。

 

 

主な登場人物に魅力が無ければ、おのずとつまらない作品になりますが、この映画はそんな事はないと思います。

主要キャラクターの男3人女1人についてですが、
金山一彦演じるマサシはお調子者の憎めないヤツ、的場浩司演じるヤクザのカッチャンは、半端者のヘタレヤクザ。
二人とも、この作品以前から役者としての実績があり、どちらも愛嬌のあるキャラクターになっています。
主人公である、加勢大周演じるヒロシが、だいぶ鬱屈した性格で、二言目には「俺たち、他人だからな!」というセリフで、仲間達との距離を隔てます。
そのくせ世話になっている草刈正雄演じる、骨董屋の主人の事は尊敬していてデレてるようなのですが、加勢の演技が未熟というか、あまり役を理解してないような印象で、台詞に頼らず演技で説明する部分が観ている方としては分かりづらい…
波子に心を開いていく過程も、挿入曲「希望の轍」をバックにしたイメージシーンで説明されますが、PVではなく、演技やエピソードで観る側にそれを実感させてほしかった。

主人公が感情移入を拒むので、なかなか期待してたような若者達の青春グラフィティという雰囲気にはなりづらい。
それなのに挿入歌「忘れられたBig Wave」が流れ出すと、急に和気あいあいと夜の海辺の砂浜で、僕達仲良しみたいなじゃれ合いが始まり、花火と共にみんなでお手々を繋いで後ろへダイブしたりする。
キャラクター達の心情の変化が描かれた後にそうなるのではなく、ただ音楽が流れ出したから、そういう動きを始めるという印象がしてしまい、がっかりシーンでした。

清水美砂演じる波子は、天真爛漫なトルコ(死語!)嬢で、彼女の髪形やファッションが実際以上にそれを魅力的に見せていたと思います。
そしてこの後、今村昌平監督に気に入られて、「うなぎ」「カンゾー先生」「橋の下のぬるい水」と連続で起用されます。

 

 

そもそも自然災害であり、莫大な被害をもたらし、怪我人や死傷者も出るかもしれない台風の大波を待ち焦がれている人々、という設定は、「TSUNAMI」というタイトルの楽曲が不謹慎という事でほぼ封印されている現在では受け入れられそうもありません。


ただ、「稲村ジェーン」にしても「TSUNAMI」にしても、当時はほとんど問題視されませんでした。個人的には「大きな波」という認識しかありませんでした。
どちらも、本当の自然災害の恐ろしさを知る機会がほとんどなく無知でいられた平和な時代の象徴のような作品だと思っています。


台風が接近してくると物語が動きだしたような感じがしてきて、ここからお客さんが席を立つ事はほとんどありません。
(そもそもそれまでは、主人公達の「退屈で平和な日常」を描写しているのだから退屈に感じるのは当然なんですが…)

その後の展開についての感想は以前、Amazon のDVD(実際はビデオテープ)レビューに「逃げる映画」というタイトルで長々と書いたので割愛させて頂きますが、
個人的にそのパートでの不満は、主人公のヒロシと波子が立ってるボードの両側から、炎を噴き上げるノズルがはっきり見えてしまっているのと、
ラストシーンのCGによる龍の現れ方が、右下から上に上がって左へ消えていく、2次元的、平面的で違和感があるという技術的な面です。
(竜のCGについては最初の登場シーンも、ほぼ顔のアップのみで全体像や動きが全くありません)

 

追記(2020年9月20日)

ようやく購入したブルーレイで久々に再見しましたが、

炎を噴き上げてるのはノズルではなく、たいまつのようで、

最後に出てくるのは竜ではなく、竜の絵の描いてあるサーフボードでした。

20回以上観たはずなのに、この記憶違いは恥ずかしい…

 

 

(最後のシーン)

波子「今日、帰る」
ヒロシ「俺、台風に名前つけたんだ」
波子「なんて?」

 

ここで映画は遠景になって主題歌が流れ出してエンドロールが始まるので、どんな名前を付けたのか観ている方はわかりません。
ずっとわからないし、たいした意味もないだろうと長年放置してましたが、長々と長文を書いているうちに何となく仮説が出てきました。

この映画は、主人公達の前の世代、稲村ケ崎で最初にサーフィンを始めた三人の男達と一人の女の子、というエピソードが随所に挟まれます。
その女の子はある日、波にさらわれて消えてしまったのだと波子の口から語られます。
そしてその子の名前はジェーンだと、伝説のサーファーの一人である骨董屋の主人、草刈正雄の臨終を前に、残った二人、伊武雅刀とパンタの口から語られます。

波子はジェーンの娘?もしくは生まれ変わり?
前回の台風に付けられた名前がジェーンなら、今回の台風の名前は波子…しかし、本編の台詞でそれを語らせてしまうと

 

ヒロシ「俺、台風に名前つけたんだ」
波子「なんて?」
ヒロシ「…ナミコ」

 

語感が残念ながらダサいので、言わせずにエンドロールに逃げた。というのが私の仮説です。
というか、それしかないような気がしてきましたし、今までそれに気付かなかった事に驚き、桑田さんからすれば「それすら伝わっていないのか…」と絶句するかもしれません…

そして改めて、とことん「逃げる映画」だったと再認識するのでした。


サーファーが波乗りする事から逃げ
伝説の大波を見せる事から逃げ
最後の台詞を言わせる事から逃げ


わかりづらい映画になるのは当たり前ですね。

 

でもこの作品、上手に描かれはしなかったけれど、とても魅力的な要素が満載のお宝の山のような気がします。
主人公ヒロシの鬱屈した性格が徐々に変わっていくとか、伝説のサーファーと現在の二世代に跨った物語とか、稲村ケ崎に住む名も無い人々の人間絵巻にしようというような試みとか。

ヒロシが着ている青いデニムシャツとベージュのチノパンの着こなしがカッコイイと思い、かなり長い間真似しました。
今でも映画「稲村ジェーン」は私の脳内で変換、美化されて燦然と輝く名作として残っています。

 

 

 

 

 

 

幻のイデオン

伝説巨神イデオン」については思い入れが強過ぎて、いくらでも長々と書いてしまいそうで、
特にこのご時世ですと、コロナウイルスはイデによる、人類が善き生命体であるかどうかの試し、であるとかついつい妄想してしまいます。

 

ネットで検索してヒットした、アニメージュ80年5月号に掲載された初めてのイデオン記事からの画像。

著作権的に問題があるとの指摘がありましたら後から削除します) 

f:id:edamamesakura:20201022205615j:plain

イデオンのデザインが微妙に違います。

 

実際にオンエアされた作品よりも陰影のコントラストの強い、このイラストを見た時の当時の衝撃は大きくて、私にとって今まで見た事のない絵でした。
タツノコプロの絵に似てると当時よく言われましたが、西洋的というかビフテキの肉食系なそれとは微妙に違うと感じました)
この時の2ページの特集には他にも、宇宙服を着たベスとギジェ(らしき人)のビームサーベルでのチャンバラの1シーンのイラストもありました。
これも、湖川友謙さんのデッサン力の固まりのような嘆息物で、ひたすらテレビでのオンエアを心待ちにしておりました。

が、静岡では平日夕方の早い時間帯での放映だったので、当時なかなか部活動と塾との折り合いがつかなくて、初めてイデオンを観たのは11話くらいになりましたし、
その後も飛び飛びになってしまいました。

 

テレビで本編を見るより先に音楽BGM集を先に購入する事になりました。 

伝説巨神イデオンBGM集

伝説巨神イデオンBGM集

 

このコスモの横顔のイラストも一生忘れられないです。色の乱暴で大胆な筆さばきが、正に芸術家、アーティスト!という感じで魅了されました。

(CDだとスターチャイルドの帯がデカくて邪魔な印象です)

 

この音楽集に寄せられた富野 喜幸(現 由悠季)監督のコメントで「イデオンの終局は死滅かもしれない、それは絶望で終わらせたくないのだが…」みたいな事が書かれていたと記憶しております。
82年の夏までイデオンにとり憑かれたような時期でした。

 

そしてその後の喪失感を埋めたのが、おそらく時期的に来春アニメ映画の公開が予定され、大々的にフェアが展開されていた「幻魔大戦」という流れだったと思います。

 

 

 

ガンダムとドリカム

ガンダムの主題歌をドリカムが歌うというまさかのコラボが実現して、今現在、劇場版『Gのレコンギスタ』で使用されているそうです。

カッコいいファンク&ディスコ。でも不思議とガンダムの世界に違和感なく溶け込みそう。

 


DREAMS COME TRUE - 「G」


この『Gのレコンギスタ』はテレビシリーズは全部観たのですが、一回見ただけでは訳がわからず、更に人の命の扱い方の雑さに辟易したんですが、映画版はかなり修正を施していて、評判も良いみたいです。
経済的に厳しいので今は無理ですが、いつか観てみたいです。

 


 

サザンオールスターズ LIVE TOUR 2019 “キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!" だと!? ふざけるな!!

サザンオールスターズが今年3月から行った40周年記念ライブツアー。経済的な事情で会場へは行けませんでしたが、今回ようやくブルーレイでその公演を観る事が出来、ボーナスディスクも含めて幸福な時間を過ごさせて頂きました。

とはいえ、眼精疲労による不調もあって、最初はなかなか入り込めず、途中からしばらく目を閉じて演奏だけ聴いている状態が続きました。

最初の3曲はライブの後半に聴きたかった曲ばかりで、テンションが温まる前で勿体ない、と思ってしまいました。
で、序盤最初のスローテンポの曲が「SAUDADE~真冬の蜃気楼」なんで春から夏前に向けてのツアーでいきなり冬の曲?
で、次が春曲の「彩〜Aja〜」その後に夏っぽい雰囲気の「神の島遥か国」なら次は秋の曲かと思いきや「青春番外地」なんで?市川 紗椰がお気に入りだと言ってたから?
とにかく前半の選曲や曲順には???で戸惑うばかりでした。

中盤の「女神達への情歌」は気合とか迫力を感じましたが、続く曲が「慕情」これもいい曲ですけど、なんで女神達~の次なんだろうと、今までに体験した事がないくらい不思議と曲順に戸惑い続けます。

新曲が登場「愛はスローにちょっとずつ」ライブでお客さんと共に育てていく楽曲がバラードというのも不思議だなーとこれも疑問に。

カッコいいファンク「ゆけ!!力道山」次の「CRY 哀 CRY」サビメロ部分で演奏と共にバックの映像までぐちゃぐちゃになっていく様は圧巻でした。
そして「HAIR」もし事前にセットリストを知らずに会場にいたら凄い衝撃だったと思います。まさか周年記念ライブでこういう曲を持ってくるとは。
「当って砕けろ」から、変な感想ですが、ようやく自分の知ってるサザンオールスターズが始まったような気がしました。
これ以降は曲順に戸惑う事無く、無条件でライブに夢中になり、滅茶苦茶楽しむことが出来、結果、最悪かも…と思っていたライブが最高のライブだったという感想に転換していきました。
黄色い仮面のイエローマンの前振りは必要だったのか…まあ、それだけこの曲を大事にしてるという事でしょう。
40周年ライブに大ヒット曲の「TSUNAMI」がなく、大コケした「イエローマン」は披露されるというのも面白いような気もします。
そして本編ラストはおそらくライブの皆勤賞「マンピーのG★SPOT」相変わらずのカオスで、ある種の使命感のようなものを抱きながら、ああいうステージを繰り広げてるんだろうなと、思うのでした。

アンコール1曲目は「I AM YOUR SINGER」個人的に一番、自分がのどかで平和だった時期と重なって愛おしい曲です。
2曲目「LOVE AFFAIR〜秘密のデート」いつもならまたこの曲かと思いそうですが、今回、ド定番がほとんどないライブなので、気持が物凄く高揚しました。
毛ガニさんの前フリからの「勝手にシンドバッド」は今まで観てきたサザンのライブで一番楽しんだ気がしました。これも前半の戸惑いや鬱屈からの解放感が後押しした結果のように思えました。
ラストは「旅姿六人衆ならぬ旅姿40周年」
たしか原曲のキーはEで、それを下げて歌う事で、ラフで気負いのない違う雰囲気の別の曲のような印象がしました。

サザンのライブを観終わって毎回思うのは、明日生きる力、活力を与えてくれたという気持ちで、辛い時ほど、これを糧になんとかやっていけるかもという気持で、今回もそういう気持ちにさせて頂きました。有難うございます。